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個人の自由

  • 講師
  • 2021年4月10日
  • 読了時間: 1分

中学生の時に自転車に鍵をかけ忘れて先生に叱られたことがあります。

ある日の下校時、その日かけ忘れたはずの自転車の鍵が抜き取られていることに気づきました。

当然ながら鍵がかかった自転車は動かせない。

職員室に相談に行ったら鍵を抜いていた先生が出てきました。その時の態度を今でも覚えています。

「あなたの自転車が盗まれる前に予防してあげたのは私よ」的な随分上から目線の態度で鍵を返してきました。

考えてみればおかしな話です。仮に自転車を盗まれたとしても悪いのは鍵をかけ忘れた人ではなく、100%盗む側の人間なわけですから。

身近に責める対象がいさえすれば責め立てるというのはよくあることです。

自分がスッキリしたいだけなんでしょうか。

昨今のコロナ禍で会食した人達がやたらとヤリ玉に挙げられていますが、コロナの流出源が武漢のウイルス研究所だとしたら全く見当はずれの非難の矛先になりますよね。

真実は知りませんが、会食非難しても得るものはないように思います。


先日、氷見市長が10人と会食したくらいで地元のトップニュースになっていましたがそのくらいは自己責任、個人の自由じゃないでしょうか。

 
 
 

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