yahooのニュースで藤井聡太の対局料・賞金がいくらとかやってました。
この手の話題は嫌いです。
年収・年齢・学歴とか。
個人的にはどうでもいい概念ですね。
将棋は物質的な付加価値を生み出すことはありませんが娯楽として価値のあるものです。
基本的にわかる人にしかわからないです。
マスコミが数字だけで将棋を語る意味がわかりません。
幸福度の指標になるものがそれくらいしかないのでしょうか。
あと、年齢聞かれるのが失礼とかって感覚も私はイマイチわかりません。
年齢知ったところで、あるいは聞かれたところで見た目の美しさって変わらないわけじゃないですか。聞く方も聞く方ですが、聞かれて気にする方も気にする方かなと思ってます。
ハウルが言ってました。
「美しくなければ生きていたって意味がない」
私の個人的な解釈では見た目も中身も、ですね。
藤井聡太の棋譜をまともに読めないマスコミがが藤井聡太語るなって感じです。
昔と違って今は将棋は収益につながらないので新聞各社スポンサーがどこも降りたがってる話をこれまでよく聞いてきました。各社面子があるから一番お金持ってる読売がやめないかぎり、やめれないようです。
藤井聡太に罪はないですが、プロ棋士の給料がいくら高くたって新聞配達してる末端の人の生活が苦しいんじゃ意味ないです。資本主義社会のヒエラルキー然り。
労力×時間=人が生み出せるエネルギーの総量
これを取引可能にするツールとしてお金が生み出されたわけです。
時間は最も大事な資源だということを忘れてはいけません。
最近は高校生~大学生と遊ぶ機会が増えました。お金の話なんてほとんど出てきません。彼らの純粋な感性が社会に出てから色褪せてしまわないように願うばかりです。
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